カテゴリ:江戸時代の宿場を巡る
自宅前は雪景色
今朝は起きてびっくり、家の前が雪景色、テレビニュースで連日豪雪地帯の
映像が送られてきます。北陸や北日本の人には笑われそうですが
温暖な当地にも今冬始めて雪が積もりました。寒さが堪えます。
浜松宿→島田宿
昨日、久しぶりに旧東海道宿場巡りに出掛けた。今回は浜松宿から東へ
郊外で国道1号線から外れて旧道に入る。天竜川堤防の手前で停車
「金原明善」生家を見学した。入館無料
天保3年(1832)豪農に生まれた明善は暴れ天竜の水害に苦しむ
住民のために私財をなげうって治水事業、特に植林事業に貢献した。
後に造られた「三方原用水」事業の礎を築いた人物。

天竜川橋(昔の渡船場)
外敵の侵入を防止するため、江戸幕府は河川に橋を造ることを禁じた。
明治天皇ご行幸の時にも橋が無かったので、船橋(船を並べて橋を渡す)
を造って渡ったらしい。昭和8年に建造された旧天竜川橋(鉄製)

遠江国の中心「見付宿」
天竜川橋を渡ると「見付宿」京都からの旅人が始めて富士山を見たと
いうことから見付と名が付いたとか、奈良時代に遠江国府が置かれ
遠江国の中心として栄えた。

遠江八幡宮
全国に国府が置かれ天皇が国を治めるようになったこの時代、各国府の
近くに八幡宮を建立し、その国の治安を祈願した。この桜門は県の文化財

東海道のどまん中「袋井宿」
東海道53宿のまん中、27番目に位置する。掛川と見付の間が長いので
宿場整備から15年遅れに開かれた比較的小さな宿場。

掛川藩の城下町「掛川宿」
袋井から掛川に向かって、途中で旧東海道を寸断され見失う
仕方なく旧1号線に沿って走る。道路整備が進み旧道が少なくなった。
掛川藩は「山内一豊」で有名な掛川城、「二の丸美術館」を見学
もう一度、時間をかけてゆっくりと見て回りたいと思う。

難所川越えの「島田宿」
日坂峠を越えて大井川を渡ると川越えの難所「島田宿」島田博物館を見学
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」旅人を困らせた川越え
大井川には渡船はなく、旅人は「川札」を買って川越人足を雇った。
その日の水深によって価格が決められた。水深が4尺5寸(136cm)に
なると川止めとなり、最大28日間の川止めの例もあったらしい。
蓮台(4人でかつぐ)や肩車(一人)などがあり値段が違った。人足一人
最高96文(約2,820円)掛かったらしい。お陰で島田宿は宿泊客や
川札で経済的に発展した。昔の旅はお金持ちでないと出来なかったようだ。
残念ながら、どこの博物館も内部は撮影禁止が多い

世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」
博物館から大井川堤防沿いに南へ約2km「蓬莱橋」がある。
明治12年に川向こうの牧ノ原の茶畑に行くために造られた。ギネスブック登録

帰りは国道一号線バイパスを一直線 次は藤枝宿から東へ
今朝は起きてびっくり、家の前が雪景色、テレビニュースで連日豪雪地帯の
映像が送られてきます。北陸や北日本の人には笑われそうですが
温暖な当地にも今冬始めて雪が積もりました。寒さが堪えます。
浜松宿→島田宿
昨日、久しぶりに旧東海道宿場巡りに出掛けた。今回は浜松宿から東へ
郊外で国道1号線から外れて旧道に入る。天竜川堤防の手前で停車
「金原明善」生家を見学した。入館無料
天保3年(1832)豪農に生まれた明善は暴れ天竜の水害に苦しむ
住民のために私財をなげうって治水事業、特に植林事業に貢献した。
後に造られた「三方原用水」事業の礎を築いた人物。

天竜川橋(昔の渡船場)
外敵の侵入を防止するため、江戸幕府は河川に橋を造ることを禁じた。
明治天皇ご行幸の時にも橋が無かったので、船橋(船を並べて橋を渡す)
を造って渡ったらしい。昭和8年に建造された旧天竜川橋(鉄製)

遠江国の中心「見付宿」
天竜川橋を渡ると「見付宿」京都からの旅人が始めて富士山を見たと
いうことから見付と名が付いたとか、奈良時代に遠江国府が置かれ
遠江国の中心として栄えた。

遠江八幡宮
全国に国府が置かれ天皇が国を治めるようになったこの時代、各国府の
近くに八幡宮を建立し、その国の治安を祈願した。この桜門は県の文化財

東海道のどまん中「袋井宿」
東海道53宿のまん中、27番目に位置する。掛川と見付の間が長いので
宿場整備から15年遅れに開かれた比較的小さな宿場。

掛川藩の城下町「掛川宿」
袋井から掛川に向かって、途中で旧東海道を寸断され見失う
仕方なく旧1号線に沿って走る。道路整備が進み旧道が少なくなった。
掛川藩は「山内一豊」で有名な掛川城、「二の丸美術館」を見学
もう一度、時間をかけてゆっくりと見て回りたいと思う。

難所川越えの「島田宿」
日坂峠を越えて大井川を渡ると川越えの難所「島田宿」島田博物館を見学
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」旅人を困らせた川越え
大井川には渡船はなく、旅人は「川札」を買って川越人足を雇った。
その日の水深によって価格が決められた。水深が4尺5寸(136cm)に
なると川止めとなり、最大28日間の川止めの例もあったらしい。
蓮台(4人でかつぐ)や肩車(一人)などがあり値段が違った。人足一人
最高96文(約2,820円)掛かったらしい。お陰で島田宿は宿泊客や
川札で経済的に発展した。昔の旅はお金持ちでないと出来なかったようだ。
残念ながら、どこの博物館も内部は撮影禁止が多い

世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」
博物館から大井川堤防沿いに南へ約2km「蓬莱橋」がある。
明治12年に川向こうの牧ノ原の茶畑に行くために造られた。ギネスブック登録

帰りは国道一号線バイパスを一直線 次は藤枝宿から東へ
秋本番
台風15号は当地(浜松)を直撃、数十年ぶりの強風で各地で被害
我が家の前の姫街道松並木が2本倒れた。それでも台風通過後は
めっきり秋らしくなり、爽やかな日が続いている。
日本アルプスや北国からは、紅葉の便りも・・・
第三回姫街道検定に挑戦
久しぶりに「姫街道」に出掛けた。今回の目的は宿場巡りを兼ねて
「姫街道検定」の答え探しである。
この検定も3回目、だんだん難しくなり、図書等で調べても記載
されていない問題が多く、現地へ行かないと答えが見つからない
出題者の狙いも、徒歩や車で街道を巡ってもらう事でもある。
歴史の道百選に
平成8年、この街道が歴史の道百選選ばれた。

本坂越え
静岡県と愛知県の県境にある海抜328mの本坂峠越えは
女性達には難所だった。

峠を越えると嵩山宿
本坂峠を越え、江戸から73里の一里塚を下ると嵩山(すせ)の宿場

前方の山が本坂峠

街道は秋の気配
嵩山(豊橋市)は柿の産地、コスモス畑の向こうは収穫間近の柿畑

自分は第二回目から「姫街道検定」に挑戦しています。前回はラッキーにも
100問中97問正解、一級の認定を頂きました。今回も期限は今年中
来年1月10日迄に提出、問題集は地元の図書館や文化施設にあります。
台風15号は当地(浜松)を直撃、数十年ぶりの強風で各地で被害
我が家の前の姫街道松並木が2本倒れた。それでも台風通過後は
めっきり秋らしくなり、爽やかな日が続いている。
日本アルプスや北国からは、紅葉の便りも・・・
第三回姫街道検定に挑戦
久しぶりに「姫街道」に出掛けた。今回の目的は宿場巡りを兼ねて
「姫街道検定」の答え探しである。
この検定も3回目、だんだん難しくなり、図書等で調べても記載
されていない問題が多く、現地へ行かないと答えが見つからない
出題者の狙いも、徒歩や車で街道を巡ってもらう事でもある。
歴史の道百選に
平成8年、この街道が歴史の道百選選ばれた。

本坂越え
静岡県と愛知県の県境にある海抜328mの本坂峠越えは
女性達には難所だった。

峠を越えると嵩山宿
本坂峠を越え、江戸から73里の一里塚を下ると嵩山(すせ)の宿場

前方の山が本坂峠

街道は秋の気配
嵩山(豊橋市)は柿の産地、コスモス畑の向こうは収穫間近の柿畑

自分は第二回目から「姫街道検定」に挑戦しています。前回はラッキーにも
100問中97問正解、一級の認定を頂きました。今回も期限は今年中
来年1月10日迄に提出、問題集は地元の図書館や文化施設にあります。
今年の夏も猛暑か
先週は梅雨の中休み、好天が続いた。晴れると梅雨明けを
思わせる暑さ、当地でも32℃、身体が慣れてないのできつい
それでも、ジメジメした雨よりは気持ちが良い・・・
思いつきで出かけた
静岡県観光課発行のPR誌「さすが静岡(ふじのくに)東海道」を
見ていたら江戸時代の宿場マップが載っていた。
歩くのはきついので、車と散策で巡って見ることを思いついた。
東海道は53次、静岡県内の宿場22ヶ所だけでもと思い。
とりあえず近場から巡ってみることに、浜松宿から西へ、
今回の目的地は、愛知県との県境近く「二川宿」まで
旧東海道宿場には、必ずと言っていいほど、その時代の偉人や
文化を伝える「資料館・記念館」がある。宿場巡りの目標の一つ
として、その宿場の資料館等に立ち寄ることにした。
賀茂真淵記念館
浜松宿西の外れ近く、旧東海道(国道一号線)から少し脇道に
入ったところにある。
江戸時代中期の国学者、古典を研究し、日本人本来の生き方や
思想を求める学問、300人以上の弟子を持ち学問を教えた。
本居宣長(松坂生まれ)や内山真龍(天竜生まれ)に教えた人。

縣居神社
記念館の隣にある。賀茂真淵お祭りしている学問の神社。

舞阪宿・新居宿
宿場は、多くが現在の国道一号線から脇道に入ったところにある。
高速道路やバイパスを外れ旧東海道を通るのも目的の一つ・・・
舞阪宿の入口には昔を偲ぶ松並木が残る。旧東海度でよく見かける。

新居関所跡資料館
舞阪宿と新居宿は目と鼻の先、浜名湖今切口を挟むだけの近距離
新居関所取締りの厳しさと、今切口渡海の難しさから、多くの旅人が
足止めされたことだろう。新居関所は津波等の災害で再三に渡り流出
この難所を避けて湖北の「姫街道」を通行する大名や旅人が増えて
気賀宿にも関所を作る必要性があった。


旅篭「紀伊国屋」
関所近くを散策していたら、江戸時代の旅館「旅篭」を見かけた。
紀州(和歌山県)の人が経営していたらしい。

白須賀宿から二川宿へ
新居宿から西へ、三河(愛知県)との県境に「白須賀宿」がある。
遠州灘に面した小さな漁村だった。旧道は狭いが古い町並みが
二川宿「本陣資料館」
二川宿の狭い通りに突如立派な「本陣&旅篭」が復元されている。
広くて立派な建物、展示物も中々見ごたえがあった。

本陣玄関口

本陣・・・参勤交代の大名や公家、幕府の役人が宿泊
旅篭・・・一般の武士や飛脚、庶民(巡礼や旅行者)が宿泊(一拍二食付)
木賃宿・・・行商など低所得者が宿泊(素泊まり)
旅篭の風景

江戸時代のお金

大名行列には膨大なお金が掛かったと言われているが、庶民が旅行を
する場合でもかなりのお金が必要だったようだ。
朝早くから夜遅くまで歩いても江戸から京都まで2週間は必要だった。
費用は宿泊や食事で1日当たり18,000円〜20,000円(現在の価格)
必要だったとか、片道25万〜30万円も掛かる・・・
相当なお金持ちしか旅は出来なかったようである。
つづく
先週は梅雨の中休み、好天が続いた。晴れると梅雨明けを
思わせる暑さ、当地でも32℃、身体が慣れてないのできつい
それでも、ジメジメした雨よりは気持ちが良い・・・
思いつきで出かけた
静岡県観光課発行のPR誌「さすが静岡(ふじのくに)東海道」を
見ていたら江戸時代の宿場マップが載っていた。
歩くのはきついので、車と散策で巡って見ることを思いついた。
東海道は53次、静岡県内の宿場22ヶ所だけでもと思い。
とりあえず近場から巡ってみることに、浜松宿から西へ、
今回の目的地は、愛知県との県境近く「二川宿」まで
旧東海道宿場には、必ずと言っていいほど、その時代の偉人や
文化を伝える「資料館・記念館」がある。宿場巡りの目標の一つ
として、その宿場の資料館等に立ち寄ることにした。
賀茂真淵記念館
浜松宿西の外れ近く、旧東海道(国道一号線)から少し脇道に
入ったところにある。
江戸時代中期の国学者、古典を研究し、日本人本来の生き方や
思想を求める学問、300人以上の弟子を持ち学問を教えた。
本居宣長(松坂生まれ)や内山真龍(天竜生まれ)に教えた人。

縣居神社
記念館の隣にある。賀茂真淵お祭りしている学問の神社。

舞阪宿・新居宿
宿場は、多くが現在の国道一号線から脇道に入ったところにある。
高速道路やバイパスを外れ旧東海道を通るのも目的の一つ・・・
舞阪宿の入口には昔を偲ぶ松並木が残る。旧東海度でよく見かける。

新居関所跡資料館
舞阪宿と新居宿は目と鼻の先、浜名湖今切口を挟むだけの近距離
新居関所取締りの厳しさと、今切口渡海の難しさから、多くの旅人が
足止めされたことだろう。新居関所は津波等の災害で再三に渡り流出
この難所を避けて湖北の「姫街道」を通行する大名や旅人が増えて
気賀宿にも関所を作る必要性があった。


旅篭「紀伊国屋」
関所近くを散策していたら、江戸時代の旅館「旅篭」を見かけた。
紀州(和歌山県)の人が経営していたらしい。

白須賀宿から二川宿へ
新居宿から西へ、三河(愛知県)との県境に「白須賀宿」がある。
遠州灘に面した小さな漁村だった。旧道は狭いが古い町並みが
二川宿「本陣資料館」
二川宿の狭い通りに突如立派な「本陣&旅篭」が復元されている。
広くて立派な建物、展示物も中々見ごたえがあった。

本陣玄関口

本陣・・・参勤交代の大名や公家、幕府の役人が宿泊
旅篭・・・一般の武士や飛脚、庶民(巡礼や旅行者)が宿泊(一拍二食付)
木賃宿・・・行商など低所得者が宿泊(素泊まり)
旅篭の風景

江戸時代のお金

大名行列には膨大なお金が掛かったと言われているが、庶民が旅行を
する場合でもかなりのお金が必要だったようだ。
朝早くから夜遅くまで歩いても江戸から京都まで2週間は必要だった。
費用は宿泊や食事で1日当たり18,000円〜20,000円(現在の価格)
必要だったとか、片道25万〜30万円も掛かる・・・
相当なお金持ちしか旅は出来なかったようである。
つづく
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