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リタイア後に始めたグログ、日々の気づいた事柄を日記方式で書いてみたい!


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三方原合戦後の徳川家康

久しぶりのブログアップ
暑い、暑いと言っていた猛暑が終わり、爽やかな秋の季節を
期待したが、いきなり冬の到来を思わせる寒さ・・・
それでも、今週は爽やかな秋の快晴となった。
久しぶりに史跡探訪に行ってきた。

武田氏滅亡後の勢力
1575年「長篠城の戦い」で武田軍に勝利した織田、徳川
連合軍であったが、当時の勢力は圧倒的に織田の方が
勝っていた。

家康の正室、嫡男「築山御前母子」の悲劇
浜松城の東、数Km(徒歩で10分位)の閑静な住宅街の中に
「西来院」と言うお寺がある。
墓地の中程に「築山御前」の廊堂がある。
三方原合戦後の徳川家康_b0147014_12541238.jpg

三方原合戦後の徳川家康_b0147014_12543597.jpg


築山御前・破局の因
この母子が、なぜ家康に殺害されなければならなかったか?
その経緯は彼女の生い立ちと、その後の家庭環境?にあった。
又、徳川一族存続のために犠牲となったとも言える。

岡崎城での内紛(不仲)
家康が遠江侵攻のため、岡崎城を嫡男「信康」にまかせ、
自らは遠江「浜松城」に入っていた。
岡崎城には彼女の他に家康の生母、息子信康、信康の嫁が
同居することになった。

当時の年齢と生い立ち
家康の生母「於大の方」51才・・・三河刈谷城主の娘
家康の正室「築山御前」37才・・・今川氏九代氏親三女の娘
家康の嫡男「信康」20才   ・・・築山御前の実子
信康の正室「徳姫」20才   ・・・織田信長の娘
当時の女性は全てが政略結婚であり本人の意志は無視された。

家康との結婚
家康がまだ今川の人質だった時代、当時16才、瀬名姫(築山
御前)17才、年上の妻、家康にとっては恋女房と言われている。
その後、今川、武田の滅亡、織田の勢力拡大戦略の渦に
巻き込まれていった。

息子「信康」と徳姫の結婚についても、政略から家康は
認めざる得なかったが、彼女は母として承諾出来なかった。

岡崎城内での葛藤と徳姫の動き
徳姫は岡崎城内での出来事を有ること無いこと逐一信長に
手紙で報告した。やがて、信康と不仲となり、当然姑の築山御前とも
又、築山御前は姑の於大の方とも不仲、母子は板挟みとなっていた。

十二箇条の問罪
天正七年(「1579)信長は家康の家来を安土城に呼びつけ
十二箇条問罪を突きつけ母子抹殺を迫った。
築山、信康母子は武田勝頼に通じ織田・徳川を滅さんとの
企てあり、勝頼との誓書」まで用意されていた。

築山御前・信康母子の追放
同年八月十日、先ず、嫡子信康を二俣城(旧天竜市)に謹慎
八月二十五日、ついに、築山御前も浜松城に移城と言う名目で
岡崎城を出ることになった。

彼女には、当時の状況(信康の謹慎)等から、死出の旅で
あることを悟っていた。「今川の血」に対する宿命

築山御前の足取りを辿る(岡崎城~浜松城へ)
晴天の秋晴れ、自宅から車で40分位、豊橋市嵩山(すせと読む)
まで走り、本坂峠~三ヶ日~佐鳴湖とドライブと徒歩。

嵩山(すせ)本坂越え
築山御前は岡崎城を出て東海道を東へ、御油宿から「姫街道」に
入り、嵩山宿から本坂峠を越える。
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本坂越え
今はトンネルが開通、あっと言う間に三ヶ日に出るが、当時は峠越えの
難所、峠には関所や茶屋もあったと言われている。
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三ヶ日から舟で浜名湖を渡る。
三ヶ日はみかんの産地、収穫間近のみかん畑から奥浜名湖を望む
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佐鳴湖を舟で渡る
当時も湖畔に竹藪や葦が茂っていたのか、湖を渡れば浜松城とは
目と鼻の先である。
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大刀洗の池
ついにその時、今は大きな病院の駐車場になっているが、その一角に
「大刀洗の池」と表示した石碑と説明版がある。
葦の茂る湖畔の一角、小さな池の畔で、迎えに来た家康の家来により、
斬首された。ここに、築山御前は苦難多き37才の生涯を閉じた。
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今は、枯れて水は無いが、斬首のあと血刀を洗ったこの池はいつまでも
血の色に染まって赤い水たまりあったと言われている。

                  つづく   次で終わり
by mi-grape | 2010-11-05 14:42 | 遠州の史跡探訪